スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2014年03月20日

玉川啓さんのfacebookの投稿


福島で、注目している方々の中のお一人、玉川啓さんのfacebookの投稿です。(^-^)


皆さん、3.11本当に多くの方々が想いを寄せてくれたこと、本当に感謝です。
その上で、私、玉川啓個人としては、本当に追い込まれたのは3.12からでした。

警察も消防も去り、静かな静かな町の中で、3.12の15:00過ぎに浪江町役場の鍵を最後に閉めました。
後で知ったのですが、その時に最初の水蒸気爆発がありました。
自分のことはさておき、一番、厳しかったのは約2万人の流浪の民と化した住民の方々をいかに導いていくかということが本当に切なかった。

50人、100人であればいかようにでもなりますが、数千人、万人単位では本当に無力感がありました。

自分はその中でどれだけのことが出来たろう、どれだけしか出来ていなかったろう。その意味では大きな十字架を背負っています。十字架を背負う覚悟だけはその当時からしていますが。

そんな3.12。静かに過ごしたかったけれど、皆さんのFBの記事を見ていて改めて気づけたことがありました。

この東日本大震災の歴史的な意味は、日本の多くの方々が「共体験」できた災害であったということです。

東京でその日を迎えた方も、きっと思い起こすと心臓がバクバクしたのではないでしょうか。

今までの災害は、本当にその局地で体験した人以外は、他者、他人事にしかなりえず、その中で想いをはせて、極力当事者感を持とうとあがいていたような気がします。

ただ、今回の災害は、福島にいようと、東京にいようと、場合によっては九州にいようと「この日本ってどうなってしまうのだろう」と共に不安になる経験をしたのではないでしょうか。

災害の風化。それは仕方がありませんが、人の心に打ち込まれたくさびは消えることはないと思います。

関心がある人、一見関心がない人。ともに結局は完全に無視しきれないのが今回の3.11だったような気がします。

本当に多くの方が亡くなり、10万人近い方々が今なお、国内難民状態に置かれています。

その過酷な状況によって、ある意味、日本は目覚めの機会を得たような気がしています。

今なお、苦しい状況に多くの方がいます。

その上で「でも」私たちは苦しくとも先に進まなければならない。
生きるということは、歩むということでもあるのではないでしょうか。

今回の3.11を経て、自分自身も「前に歩んでいかねばならない」と改めて実感しています。

この経験を経ているからこそ、未来を創らなければならない。

そしてそれは、決して個人に留まるものではなく、本当に多くの心ある方々にこの想いは共通していること。
絶望の中の希望。改めてその言葉を噛みしめています。

一緒に歩んでいきましょう!
  


Posted by 飯野健二 at 09:39Comments(0)玉川啓