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2013年12月20日

ふくしま×みなまた



 facebook で、注目している鎌田千瑛美さんの投稿です。
 
大切なお友達の皆さんと、一緒に語り合いたいお話。
水俣のこと。
昔にあった水俣病という出来事、悲惨な歴史。ちょっぴり怖い。
行くまではそう思っていた。
最初に訪れた先で、永野パパに言われた一言。
「水俣病はまだ終わってはいない。」
ただただ、心が大きく揺さぶられた。
水俣病第一号患者発生から60年。
水銀を含んだ廃水は、36年もの間、海に流し続けられた。
汚染された魚介類が原因と分かってもなお、住民たちに
知らされることなく、無残にも被害者が拡大し続けた。

水俣の波静かな海。
とても穏やかで心地良く、それでいて、どこか懐かしくもある。
海と共に生き続けた人たち。
傍から見れば、海を捨てるという選択もあっただろうに、
離れられなかったという気持ちは、海辺で生まれ育ち、
福島に生きる私は、とても共感する。

住民が被害者であり、加害者であり、差別、コミュニティの分断、
補償金、マイノリティがよりマイノリティになる構造、
不安を抱えながら出産子育てと向き合った女性たち。
企業や自治体というとても大きな寄る辺。
何十年にもわたって戦い続けた住民。
「ごめんなさい」のただ一言が聞きたかったのだ、と。
当事者になったいまだからこそ、当時の彼らに想いを馳せることが出来る。

両親共に水俣病の認定患者であった、語り部の杉本さん。
「あのとき、水俣がもっと声をあげていれば…
自分が水俣病から目をそらさず、きちんと向き合っていれば…
福島の事故は起こらなかったかもしれない。本当に申し訳ない。。」
と泣きながら私達に伝えてくれたメッセージ。
福島から来た私たちも、ただただ溢れた涙を流し続けた。

ああ、遠く、遠く、水俣のこと。遠く、福島のこと。
繋がって、お友達になれて、一緒に考えることが出来た。
わたしは本当に何も知らなかった。
たぶん、原発事故がなければ、知りたいという気持ちにすらならなかった。
でも、いま、このタイミングで、知ることが出来て、
心からよかった、と思う。
「一緒に頑張ろうねっ」と、言ってくれたお母さん。
患者さんの代弁者となって、真実を伝え続けた支援者の皆さん。
40年もの間、「言ってはいけない」タブーとされていた本音を胸に、
やっと一歩踏み出せた、という語り部さん。
水俣病患者らの想いをきっかけに、自分たちの暮らしから見つめ直す
商品開発により、環境問題を発信している共同出資型企業組合。
水俣を盛り上げようと、多様なフィールドで繋がり、
故郷を誇りに活躍するとってもとっても温かい同世代の若者たち。
たくさん本音の気持ちを伝えてくれて、ステキな歌を歌ってくれて、
握手してくれた、胎児性水俣病患者の皆さん。
何より、とても、とても、愛に溢れた場所であったこと。
知って、触れて、感じることが出来て本当に良かった。
心のふるさと水俣に、また会いに行く理由が出来た。
心から、ありがとうございました。

昨日までの1000日。これからの1000日。さて、どんな景色をみようか。
とっても遠くにまた来てしまったけれど。すべては自分次第だから。
正直、まだまだ消化するには時間がかかりそう。
幸せ。いのち。自然。本音。寄る辺。なりわい。生きるということ。
自分に出来ることなんて本当にちっぽけだけど、迷いながら揺れながら、
大事にゆっくり考えていきたい。

 21日(土)にイベントもあります。
 https://www.facebook.com/events/222011137976712/?ref_dashboard_filter=calendar
 遠くの地域で起きたことに想いを馳せる時間。

「あのとき、水俣がもっと声をあげていれば…
自分が水俣病から目をそらさず、きちんと向き合っていれば…
福島の事故は起こらなかったかもしれない。
本当に申し訳ない。。」

と、両親共に水俣病の認定患者であった、
語り部の杉本さんが、泣きながらふくしまの私達に
伝えてくれたメッセージ。

ふくしまのこと。
みなまたのこと。
ちょっと立ち止まってみんなで考えたいこと。
遠くの地域で起きた、自分と関係ないと思っていたこと。
でも実は繋がっていたこと。

ゆるりと、みんなでお話しませんか?

11月29日~12月1日での水俣視察を経て、
報告会を開催します。

報告者:日塔マキ、鎌田千瑛美
場所:りんごハウス(福島市町庭坂字原ノ内14 あんざい果樹園内)
参加費:500円  


Posted by 飯野健二 at 15:23Comments(0)ふくしま×みなまた