2017年04月01日

この国は「復興」を諦めた? 帰還政策が奪った福島の未来

この国は「復興」を諦めた? 帰還政策が奪った福島の未来
この国は「復興」を諦めた? 帰還政策が奪った福島の未来

この国は「復興」を諦めた? 帰還政策が奪った福島の未来
現代ビジネス
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51232

【避難指示が大幅に解除されるが…】
 平成29年3月11日、東日本大震災・福島第一原発事故から丸6年を迎えた。
 この3月31日から4月1日にかけて、一部の地域(帰還困難区域及び双葉町、大熊町)を除いて、これまで避難指示のあった地域(避難指示解除準備区域、居住制限区域)で避難指示が大幅に解除される。このことについては、「いよいよ復興へ」といった形で前向きに報じられることが多いようだ。
 たしかに「帰還できる」という選択肢が増えたのは望ましいことかもしれない。「帰りたい」人の希望を叶えるという意味では、避難者たちの気持ちをふまえた適切な処置だと一応は言えるのだろう。
 しかしながらまた、このところの報道でも明らかなように、肝心の事故プラントの廃炉の見通しは立っておらず、先日、東京電力が公開した1号機の内部の映像は今後の工程の難しさを実感させるものだった。燃料デブリさえ確認できないという。
 しかもいまだに余震は続いており、2016年11月22日に福島県沖で生じたM7.4の地震では、最大で1.4メートルもの津波が生じていたのは記憶に新しい。
 これはなかなか帰られる状況ではない。帰れないのは放射能が高いからだという話もあるが、それは理由のごく一部だ。
 そもそも事故はまだ終わっていない。再事故の可能性はたしかにある。廃炉が完了するまでは、あの地域では原発避難を覚悟し続けなくてはならない。一度事故を経験した人々が、「指示が終わりましたか、ああよかった」などと言って帰るはずがない。
 にもかかわらず、帰還政策だけが着実に進んでいく。その政策がこの避難指示の大幅解除で完了の一歩手前まで来た。
 これは一体何が起きているのか。

【現実にできるのは「通い復興」】
 避難指示解除が進められたからといって、簡単に現地に戻ることなどできないということは、すでに指示解除が進められた地域で人々が未だに戻れていないことからも分かる。
 たとえば、1年半前(2015年9月)に解除した楢葉町や南相馬市でも、戻れているのは2割に満たない。その前に解除が行われた田村市や川内村では7割が戻っているというが、それでもなお3割近くが帰れていないわけであり、また戻っているという人も実際は「通っている」人が多く、また通えるのは避難指示解除後も賠償や住宅支援でその暮らしが支えられているからに他ならない。
 たしかに「あそこは戻れない地域だ」といえば、もはや現地復興はあり得ず、大切なふるさとが失われることになる。それはむろん回避しなければならない。
 しかしながら現地を守る方法が「今すぐの帰還」でしかないのかは十分に考えなくてはいけない。今、現実にできることは――すでに避難指示解除が行われたところでそうなっているように――「通い復興」である。
 通いながら時間をかけて帰る準備を整えていき、安全を確かめ、「帰れる」ようになった人から順に帰って行くことだ。長期待避・順次帰還(日本学術会議社会学委員会東日本大震災の被害構造と日本社会の再建の道を探る分科会提言「東日本大震災からの復興政策の改善についての提言」)が、現実にできる復興へのたしかな道のりになるはずだ。
 そしてこれまでの政府の支援策によって(原発避難者特例法など)、こうした長期待避・順次帰還が実現できるようにもなっていた。
 だが、この3月末に始まる大幅な避難指示解除は、これまでの支援の仕組みを一変させ、早期帰還を促す転換点になりそうだ。

【避難指示解除と賠償切りはセット】
 というのも、今度の避難指示解除は、賠償支払いの終了とセットになっているからである。
 いま避難指示区域にかかった地域からの避難者たちには、精神的賠償として1人あたり月10万円が出ている。指示解除となった地域でも、実際にはなかなか帰れない現実をふまえてその支払いがつづいており、こうしたものが壊れた暮らしのかわりになっていた。
 しかしながらその支払いも、この指示解除が完了すればいよいよあと1年までとなる。そもそも避難指示解除と賠償切りがなぜ結びついているのか、このこと自体がよくわからないのだが、すでに既定の路線のようだ。
 もし賠償支払いの終了が現実になるとすれば、避難者たちはそこで避難元に帰るか、帰らないかを決断しなければならないことになる。
 当分帰らないとすれば、別に家を持たなくてはならない。仕事も確保する必要がある。しかしそれを得るためにはそれなりの資金が必要であり、仕事が確保できなければ、これまでの賠償金で今後の暮らしを賄わなくてはならない。
 逆に移住の準備が整わなければ現地にある家に戻って住むしかないが、こちらもまた補修などをふくめて費用がかかるだけでなく、現地には廃炉に関わる仕事しかないばかりか、インフラの確保は行政で何とかしてくれたとしても(ただし長期的に大丈夫だという保障はない)、多くの人が帰れない状況で暮らしを支える地域社会に再生の見通しは立っていない。
 政府は帰還を急ぐあまり、帰れない人への対策を何も用意していない。すべてはこれまでの賠償金で何とかせよというもののようだ。他方で、多くの人が帰れない現実の中で、現地復旧もまだまだ先のことになりそうだ。
 過疎地となった避難元に戻って再事故の発生におびえながら廃炉ビジネスに身を投じるか。それともこれまでの賠償金を元に避難先で暮らしを設計し、帰還を諦めるのか。その決断が1年後に迫られていることになる。今回の避難指示にはそういう意味合いがある。
 だとすれば、被災地の復興を実現するために行われるというこの避難指示解除は、その表向きの目的――復興の条件を整える――を実現するどころか、作動としてはあと1年で現地の復興をあきらめる条件を準備したことになるのではないか。これでいったい復興政策なのか。
 だが、ここまで考えてきて大変不思議なのは次のことなのだ。
 いったいこの避難指示解除は誰が決めているのか。これは一体誰の意志なのか。
 このことが、色んな人々にいくらたずねても釈然としないのである。そしてこのことを突き詰めていくと、どうもそこには、これを読んでいるあなたも深く関係している日本社会全体の構造が浮かび上がってくるのである。
 いったいどういうことか。

 【避難者から社会的弱者へ】
 だがこの問い答える前に、もう少し現状認識を深めておこう。
 この3月末、もう一つの避難者政策の転換が行われることになっている。それは自主避難者への住宅支援の打ち切りである。
 2万6千人いると言われる福島県からの自主避難者(津波による避難者も含む)に対し、これまで福島県は住宅支援を行ってきた。
 支援対象を福島県がとりまとめ、国が財源を提供するというもので、要するに、避難指示区域外からの自主避難者に対しても、これまで政府はその避難の実状や必要性を理解し、一定程度の支援を行ってきたということになる。
 その自主避難者への支援がこの3月末をもって終了する。つまり自主避難者は、公的にはもう避難者ではなくなるというわけだ。
 自主避難についてはいまだ誤解が多い。このところ首都圏を中心に福島からの避難者の子どもたちへのいじめが問題になっているが、そのいじめは「賠償をもらっているんだろう」という形で行われていたようだ。
 だが自主避難には賠償はでない。住宅の支援を受けているだけで、あとは避難先の自治体や民間の応援に頼りながら細々と暮らしており、ここにも国民の不理解から生じる暴力の一端が見られるが、ここではこの議論を展開するのはやめよう(「国民の不理解」という点については、拙著『人間なき復興』を参照)。
 ともかく、今まで述べた文脈からいえば、次のことが重要になってくるはずだ。
 この避難指示解除が行われれば、これまでの避難指示地域からの強制避難者たちも自主避難者になる。そしてこの4月で現在の自主避難者たちの支援がなくなるのだから、これから強制避難者から自主避難者へと切り替わる人たちへの支援も行う道理はなくなっていく。
 強制避難者はあと1年で、賠償も支援も切られるというわけだ。むろん政府も福島県も「見捨てたりはしない」とはっきり明言してはいる。
 しかしそれは、例えば所得が低い人など生活困窮者は面倒をみるというものであり、要するに、賠償がなくなり支援もなくなって、その中で生活に困る社会的弱者が出てくれば、その対応は個別にしていきましょうというものだ。
 つまりはこういうことになる。
 原発避難者は、この3月末の避難指示解除によって避難者ではなくなり、また原発事故の被害者からも卒業して、「ふつうの人」になる。ふつうの人の中には生活困窮者もいるだろうが、それは社会的弱者として政府が福祉の対象にし、面倒みましょうということである。
 被害者(避難者)が、加害者(国)に保護される社会的弱者に転換する。
 それがこの4月以降に起きることだ。
 だが、ならば問題は次のことになっていくはずだ。
 これでは避難者たちは困るのではないか。そして、避難者たちが所属し、あるいは避難している自治体(市町村)も、さらには福島県や福島県民も、困るのではないか。
 絶対安全といわれていた原子力発電所でこんな過酷事故を起こされて、廃炉の見通しも立たないまま、6年で避難指示が解除され、7年で賠償や支援を打ち切られる。
 あとには事故プラントと汚染された土地が残され、再事故と被ばくの危険はつづき、帰れない状態のまま大量の社会的弱者が生じて、その面倒は避難自治体や福島県、福島県民がみることになる。
 しかも肝心の避難自治体も、避難指示解除で多くの住民が帰還を諦め、避難先に移ってしまえばその存続すら危ういだろう。そのために合併の検討が始まっているというが、すべての原因は経産省の管轄で東京電力がおこした事故である。
 この避難指示解除は、そうした加害者の責任を回避することにつながるだけではないか。一体誰がこれを決めているのか。

 【避難指示解除は誰が決めているのか】
 原子力関連の法律を見てみれば、原子力災害に関してはその責任は全て国と事業者に帰せられている。それはまた、原子力は一般の人々には扱うことはできない(扱うことは許されない)からでもあり、事故が生じた際の避難の指示は国が行うものとされている。
 避難指示は国がするのだから、その解除も国が行う。避難指示解除には、加害者である国の意向が強く反映されている。このことは間違いない。逆に言えば国が指示解除を急がない限り、こうした帰還政策のようなスキームにはならない。
 賠償切りや支援切りがここに織り込まれているのは、国や東電の責任を早期に回避するための画策である――まずはそういうふうに解釈することができる。実際、この避難指示解除については、そうした側面があることを、私たちは十分に知っておく必要性がある。
 だが物事はそう単純でもない。
 避難指示を行い解除を行うといっても、国が住民に直接行うものではなく、地方自治体が国の意向を受けて実施するものだ。それゆえ国が「こうする」と言ったからといって、そのままの形で実行されるわけではない。
 そこには福島県や避難自治体の意向も働く。議会や首長の判断を通じて、避難指示解除の具体的な実施は決まる。指示解除は住民、県民の意志を反映したものでもあるわけだ。
 実際に今回も、国による自治体への打診や説明、交渉があり、各市町村の議会の決定があり、首長たちの判断があって避難指示解除の枠組みは決まっている。またそのあいだには住民への意向調査や説明会もあり、住民の考えも酌み取られている。
 そして何より指示解除の決定を了解する議会も首長も、各地域の住民が選挙を通じて選んだ人々であった。こうした民主的な制度のもとに避難指示やその解除は決定されてきた。
 だからこそ、その指示や解除の時期に自治体間に違いがでるのでもあった。今回の避難指示解除も、3月31日解除の浪江町、川俣町、飯舘村に対し、富岡町は4月1日解除となっている。国が一方的に決定しているのなら、こんなばらつきは起きない。ここには各町村の事情や意向が反映されていると見てよいわけだ。
 だとすれば、問いはいよいよこうなるはずだ。
 なぜ賠償切り、支援切りにつながるこんな決定に、福島県や避難自治体は従っているのか。自分の首を絞めるような決定を、なぜ自らの手で行っているのだろうか。
 そもそも避難指示解除と賠償がつながっていることを、被害者たちは理解しているのだろうか。このままでは自分たちが困るではないか。
 そして、この決定では、事故の責任は全て、被害者である当事者と福島県が引き受けなくてはならなくなる。このことを住民、県民は知っているのか。なぜこんな決定を人々は許しているのか。
 繰り返そう。
 東京電力福島第一原発事故はまだ終わっておらず、現に事故プラントは手つかずのまま残されており、現地は帰って暮らしができる状況にはない。そこに被害者を放り出せば、生活困窮者が大量に生み出されるのは目に見えている。
 ここまでは賠償があり、公共私による様々な支援もあって支えてこれたが、賠償と公的支援を切られれば多くの人が社会的弱者に陥るのは明らかだ。
 その人々の面倒を経済的自立を果たした人々でみなければならないが、本来の加害者である東電・国の責任はもはや回避されてしまっていて、これでは「もう被害はないね。じゃあ、あとは福島でよろしく」といわれているようなものだ。
 せいぜい付け加えれば、「お困りなら、支援しましょうか」と。この決定に福島県民は納得できるのか。
 
 【「賠償を払いたくない」がもたらしたもの】
 おそらくこの先、約1年後くらいにこの避難指示解除が持つ意味が明るみになった時に、福島県民は大きく騒ぎ出すだろう。だがその時にはもう遅い。自らが決定した以上、自らが蒔いた種だと言われるのが落ちだ。
 とはいえ、なぜこんな自分で責任をかぶるような決定を避難自治体や福島県がしてきたのかということについては、もう一つ大事な回路があることに私たちは気づいておく必要がありそうだ。
 先ほど、この避難指示解除には政府の責任逃れの意図が入っているはずだと述べた。
 だが政府が責任を逃れようとして、そのことだけでこうしたスキームが出来上がっているというふうに私は思わない。
 先日、私は今村雅弘復興大臣にあるテレビ番組でお会いし、様々におたずねする機会があった。その時言われた印象的な言葉がある。
 「時間がない。急がなくてはならない。それは人々のこの事故への風化があるからだ。」――私はこの言葉に100%同意できる。私もそう思う。そしてここで私が感じたのは次のことだ。
 本当に怖いのは政府ではない。その向こうにあるもの。それは世論だ。国民の声である。
 要するにどうも、この「復興政策が復興を阻んでいく」という矛盾したスキーム、そしてこれを導く「原発事故を早く終わらせたい」という妙な焦り、これは国民の声を強く反映したもののようなのだ。
 つまりはこれを読んでいる皆さんの声をまとめた結果が、今進んでいる「早期帰還政策」だということになる。政府はその国民の意見を代表して、この政策を取りまとめているだけだともいうことができそうだ。
 「福島にこれ以上カネをかけたくない」――そういう世論を前にして、この1年で今後のスキームと予算確保をまとめてしまわなければならない。こうしたある種の善意の働きの結果が政府の帰還政策なのだと理解することが可能なわけだ(その政策の良し悪しはどうあれ)。
 私はこう分析する。すべてではないにしても、多くの人が福島に向けてこう思っているのは間違いないのではないか。
 「福島の人は賠償をもらっていい思いをしている。」
 さらにはこんなふうにも考えていそうだ。
 「福島の人たちはこれまで原発の恩恵を受けていながら、事故にあって賠償を受けるなんておかしい。自業自得じゃないか。」
 そして近頃、こうした主張が目立ってきているのが私には大変気になるのである。
 「賠償の額が肥大化してきている。東電はそれを電気料金に上乗せしようとしているが、私たちはそんなものは認めない。」
 「私たちは賠償を払いたくない。」
 「これは私たちが起こした事故ではない。」
 だが、こうした論理がまさに、「早く帰還させ、賠償を早く打ち切るべきだ」という政府の政策の原動力になっているのではないか。
 私はこう考える。
 これは国と東電が起こした事故である。これはみなが認めることだろう。だが、だとすれば、東電の電気を使っていた人はみな加害者なのである。
 そして国に責任があるということは、国民自身にも責任があるということだ。私たちはみな被ばくし、被害者ではあるが、私たちは加害者なのでもある。太平洋戦争の責任が私たち国民すべてにあるのと同じことだ。
 加害者が被害者に賠償するのは当たり前のことである。電力会社の失敗が、電気料金に跳ね返るのは当たり前ではないか。私たちは電気料金を通じて賠償を支払い、また税負担を通じて被災地を支える責任がある。しかも最初はそれをみな当然と思っていた。
 だが事故から6年目にしてどうも「もう自分たちは支払いたくない。東電と国で責任をとれ」と、言い始めるようになってきている。そうした世論に敏感になれば当然、国と東電は賠償を切り、支援を切り、被災者を見捨てるしかなくなっていく。
 だが加害者が一方的に被害者に対して、「もう被害はないだろう。賠償は打ち切るよ」というのは、倫理的道義的にもあってはならないことである。これこそ強者による弱者いじめではないか。
 そしてこうした論理が世論のうちに広がっているのを見て、子どもたちは福島からの避難者たちをいじめているのに違いない。大人たちがいじめているのだ。子どもたちの間で同じことがおきるのは当たり前だ。

 【復興政策は大失敗である】
 私たち国民はおそらく、本当はこう認識し、言わねばならないのである。
 「東電は賠償をしっかり払え。国は支援をしっかり行え。国も東電も責任を放棄するな。必要な資金は電気料金と税負担で賄え」と。
 そしてだからこそ、こう言うこともできるのである。
 「もう二度とこんな事故は起こすな。国民全員にこれだけの負担をかけて一体何をやっているのだ。東電を支えているのは利用者だ。株主ではない。この国を支えているのは私たちだ。一部の声の大きな人たちではない。ふつうの国民が支えているのだ。きちんと私たちの声を聞いて、間違いのない適切な政治を行え」と。
 もう二度と事故を起こさない、絶対に安全な原子力発電所を構築する責任が東電と国にはある。そしてもしそれが実現できないのなら、もうこんな危ない、コストのかかるものはやめるべきだ。
 賠償の額に際限はない。復興にかかる労力も計り知れない。ここでは何も生み出さない。「災い転じて」などと言うものもいるようだが、まったくの嘘だ。
 地域崩壊と大量の社会的弱者を生み出す原子力はあまりにもリスクが大きく、コストがかかりすぎる。これをつづけられるかどうかは、今回の事故に対して適切な措置が施せるかどうかにかかっている。
 しかし私の見立てでは、今回の復興政策(帰還政策)は不適切であるどころか、明らかに誤っている(「誰も語ろうとしない東日本大震災『復興政策』の大失敗」)。この政策は失敗のリスクが高く、今後さらに大きな負担を私たちにもたらすことになるだろう。
 そしてそもそもこのリスクやコストを隠して突き進む原子力経営の体質こそが、今回の原発事故の原因なのであり、私たちが今回何よりも反省し、変革しなければならないものなのであった。
 私たちはなぜこんな危うい道をあえて選択していくのだろう。
 そこにはおそらく国民の声があり、そして地域政策のあり方、会社経営のあり方、国会運営のあり方、何より政治家を選ぶ選挙の投票の仕方などが深く関わっている。国民と国家の作用・反作用のうちになにか根深い欠陥が潜んでいることを私たちは自覚しなくてはならないようだ。
 このうち選挙については「ニッポンの難題『一票の格差』の落とし穴〜是正は本当に必要ですか?」で少し分析もしてみた。地域政策については、地方創生という形で、福島で行われたことが各地に応用されはじめていることにも注意をうながしたい(共著『地方創生の正体』、「首都圏から見た地方創生」)。
 その他のことについては、今後論を広げていくつもりである。

【参考文献】
山下祐介『「復興」が奪う地域の未来 東日本大震災・原発事故の検証と提言』岩波書店、2017年
山下祐介・市村高志・佐藤 彰彦『人間なき復興 原発避難と国民の「不理解」をめぐって』ちくま文庫、2016年

    (中略)




同じカテゴリー(東日本復興支援)の記事画像
7/8(日)、未来会議 vol.19 『あのころ と このごろ』inいわき市
福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる
【東北復興支援】第7回 東北芋煮祭
開沼博氏と福島を語り合う会・福岡でのイベント
【東北復興支援】「第13回 現地会議 in 福島」
福島復興支援、東京でのイベント
同じカテゴリー(東日本復興支援)の記事
 7/8(日)、未来会議 vol.19 『あのころ と このごろ』inいわき市 (2018-06-23 05:56)
 福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる (2018-03-12 21:25)
 【東北復興支援】第7回 東北芋煮祭 (2018-02-14 05:01)
 開沼博氏と福島を語り合う会・福岡でのイベント (2017-11-29 18:22)
 【東北復興支援】「第13回 現地会議 in 福島」 (2017-11-11 05:07)
 福島復興支援、東京でのイベント (2017-09-09 04:51)

Posted by 飯野健二 at 22:01│Comments(0)東日本復興支援
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。