スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2011年03月20日

第4回、調査委員会を傍聴してきました。


 

 第4回、こども病院移転計画調査委員会を、傍聴してきました。

 だんだん、収拾が付かなくなってきました。

 そもそも、新病院の考え方が、はっきりしていません。

 はっきりしているのは、福岡市役所としては、こども病院を人工島に移転させたい、そのために、理由を付けてくる、ということです。

 現九大病院の移転問題に関しても、福岡市、九大の久保総長、福重こども病院院長の3人の話し合いで、九大病院内の移転は、無理との結論を、出しているとのことです。

 田口委員は、福岡市が、九大に正式に依頼したら、検討するとのことです。

 これに対して、北川委員長は、権限外と、高島市長に委ねようとしています。

 九大の移転の可能性があるかどうかが、今後の重要な点です。
  


2011年03月20日

被災地支援、義援金より当座の資金を


 

 「被災地支援、義援金より当座の資金を」

 日経ビジネスより
 鈴木盈宏氏の寄稿の一部です。

 企業に提案したいのは、ボランティアが現地に入るようになると、そこですぐに使える資金を支援することです。義援金を贈る企業は多く、それは重要です。ですが、義援金は被害の全容が確定するまでは事実上プールされ、後から現地での復興支援に使われるの普通です。そのため被災間もない現場ではボランティアの活動資金が枯渇するというケースが頻発します。義援金と併せて、当面の活動資金を寄付することが、現場のいち早い復興に役立つことを理解してもらいたいと思います。

 以上、引用終わりです。

 震災がつなぐ全国ネットワークに、注目して下さい。http://blog.canpan.info/shintsuna/  


Posted by 飯野健二 at 10:35Comments(0)東北関東大震災情報

2011年03月20日

震災がつなぐ全国ネットワーク【第9報】


 

 震災がつなぐネットワークの報告です。
 http://blog.canpan.info/shintsuna/archive/896#BlogEntryExtend

 名古屋のレスキューストックヤードのチームです。
 http://rsy-nagoya.com/rsy/

 東北地方太平洋沖地震について【第9報】 [2011年03月19日(土)]
 みなさま

 13日より現地入りしているスタッフ・関口からの現地レポートをお伝えします。

◇3月18日(金)

 【気仙沼】
 宮城県最北の気仙沼市に入った。個人的なことで恐縮だが、大学時代の研究室がこの地域のまちづくりに参加しており、一度だけだが訪れたことがあった。十数年前のことだ。
 そんな思い入れのある気仙沼が、変わり果てていた。
 美しい海とユニークな「マグロの貯金箱」などがあった港は見る影もなく、風光明媚な唐桑半島の海岸は防波堤のコンクリートが紙切れのように引きちぎられていた。
 そして、自衛隊の空撮映像で赤々とした火に包まれていた鹿折(ししおり)地区。地震、津波、火災に次々と襲われた民家や工場は、あめ細工のように折れ曲がった鉄骨や、黒こげになった骨組みを無残にさらしていた。

 まるで爆弾が落ちたような、まさに戦場の様相。
 「地獄だ。津波で地獄を見た」
 避難所に逃れてから1週間ぶりに戻ってきたというおばあさんは顔をひきつらせて叫んだ。
 別の女性は「あそこにいいお肉屋さんが建ってたの。お魚も本当においしかったのよ」と失われた情景を語りながら、呆然と立ち尽くしていた。

 ここにはさらに大事な建物があった。社会福祉協議会の事務局が入る福祉センターだ。災害時のボランティアセンターの運営などを担うべき社協の拠点が、跡形もなくなっていた。
 社協の機能は被災後、内陸部の老人施設に移ったと聞いた。
 訪れると施設の一室にビニールシートが敷かれ、その上に長机やいすが並べられていた。
 職員は2人が安否不明。残った職員ががれきの下からパソコンを見つけ出し、ようやく起動できたのがつい今朝のことだったという。
 「県社協ともうまく連絡がとりあえず、何から手を付けたらいいかわからない。途方に暮れている」。常務理事の一人は嘆いた。

 こうした社協に代わり、市が役所の一画でボランティアの受け付けを始めていた。この日までに市民65人が登録し、一部は物資の仕分けなどを任されている。
 火災現場のがれきの片付けなどは危険すぎてボランティアでは担えない。
 避難所の支援なら始めやすいはずだが、市内には99カ所の避難所に約2万人が身を寄せており、その数は日々増えている。 今の体制ではとてもボランティアを割り振れないと、嘆く職員の姿がまたあった。

 1800人余りの避難所となっている市内の総合体育館では、おにぎり1個で1日2食か3食という被災者の生活が1週間続いている。しかしそれでも恵まれているほうだと、いったん家に戻った住民が再び避難所に集まってくる。
 食料、物資不足に加えて、かぜも流行り始めているそうだ。
 避難所の責任者は「マスクはいくらあってもいい。全員につけさせたい。
 魚のまちだから、町中に散乱した魚がいずれ腐り始めるだろう」と、衛生面を懸念。被災者からも「トイレが詰まってきた。お風呂も入りたい」という声があがっていた。

 ※ボランティア活動支援金にご協力ください!
 ・郵便振替00800-3-126026
 加入者:特定非営利活動法人レスキューストックヤード 
 通信欄に「東北地方地震」とご記入ください。

  


Posted by 飯野健二 at 09:18Comments(0)東北関東大震災情報

2011年03月20日

本日1時より、こども病院移転計画調査委員会