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2011年03月24日

九大病院長発言を市がねつ造?


 

 こども病院移転計画 九大病院長発言を市がねつ造?
 データマックスのネットアイビーの記事です。
 http://www.data-max.co.jp/2011/03/post_14228.html

  現在、福岡市で検証が進められているこども病院の移転計画に関し、事実ねつ造の疑惑が浮上した。
2010年5月12日、市は、アイランドシティ(人工島)以外の移転候補地にあげられていた九州大学病院横の敷地について、同病院の久保院長にその可否を問い合せた。問題となるのは、そのコメントの一部が削除されたかたちで同年8月に公表されていたことである。調査報道サイト「HUNTER」(ハンター)が入手した、市で保管されていたメモによって発覚した。

 このメモによると、こども病院が九大病院敷地内へ移転することの可否について、久保院長は「敷地内への建設は物理的に難しい。新棟整備に伴う再整備計画は未定だが、不足している駐車場を増設する必要があるし、数十年後の病院建替用地を見込む必要がある」と回答していた。ところが、「新棟整備に伴う再整備計画は未定だが、」の箇所だけが削除されて公表されていた。
 当該箇所がなくなることにより、久保院長の私見的コメントが、あたかも九大の計画に基づく見解というような印象を与えるものになってしまう。

 さらに市は、「こども病院移転計画調査委員会」(委員長:北川正恭早稲田大学大学院教授)から九大側の意志について確認を求められた際、一節が削除されたままの内容を含む高島宗一郎市長宛ての文書を作成し、久保院長に署名させていた。
 同調査委員会は、移転計画における不透明なプロセスを明らかにするために設けられた。今回の事実隠ぺい疑惑が浮上したことで、議論が紛糾する可能性は高い。第5回調査委員会は、27日午後1時から福岡市役所で開かれる。

 なお、問題のメモについては「HUNTER」で公開されている。 http://hunter-investigate.jp/

  


Posted by 飯野健二 at 14:27Comments(0)こども病院移転問題

2011年03月24日

【早良区の知人の方にお伝え下さい】


 

 「日本を、福岡からよくする!」ために、頑張っています。

 お知り合いで、早良区の方が、おられたら、「飯野健二で検索」または「福岡維新の会で検索」と、お伝えいただけないでしょうか?

 私のブログに、つながります。

 よろしくお願いします。  


Posted by 飯野健二 at 12:13Comments(0)

2011年03月24日

震災がつなぐ全国ネットワーク【第10報】


 

 震災がつなぐネットワークの報告です。
 http://blog.canpan.info/shintsuna/archive/896#BlogEntryExtend

 名古屋のレスキューストックヤードのチームです。
 http://rsy-nagoya.com/rsy/

 以前のブログにも、書きこみましたが、【避難所facebook】は、よい考えと思います。
 http://isindaihyou.yoka-yoka.jp/e645436.html

 以下、震つなの引用です。
 東北地方太平洋沖地震について【第10報】 [2011年03月20日(日)]
 みなさま

 13日より現地入りしているスタッフ・関口からの現地レポートをお伝えします。
 なお、関口は19日に名古屋に戻りました。

 ◇3月19日(土)

 【七ヶ浜町】
 5日前に訪れた七ヶ浜町に再び足を運んだ。
 社会福祉協議会の事務所には「七ヶ浜町災害ボランティアセンター」の看板。
 屋内の一室にはすでに若いボランティアたちが十人ほど詰めて、受付表や張り紙づくりなどに励んでいた。

 職員によると、これまでセンターに登録したボランティアは延べ91人。ほとんどが地元の町民だ。
 センター開設を公表して以来、電話が通じていなかったこともあり、町外からは東京からの問い合わせを1件受けただけ。まだニーズが定まっていないとして待機をお願いしたという。
 施設周辺の電気は復旧、携帯電話もつながるようになった。 
 社協職員は実質3人。人手は圧倒的に足りないが、四国・中国地方の社協から応援要員が1人は常駐する見通しとなった。
 
 差し迫っていた物資や食料の不足もかなり解消されていた。物資は町中心部にある屋内ゲートボール場(スパーク七ヶ浜)に集められ、町民ボランティアが仕分けをしていた。
 米や水、カップ麺から毛布、オムツ、医薬品まで、かなりの数量。箱の大きさはまちまちなものもあるが、ボランティアの人数からみて仕分けられない量ではなさそうだ。

 物資の保管スペースの裏手には、長机やイス、ベンチが並べられていた。手狭な社協の事務所にかわって正式に開設するボランティアセンターなのだという。

 今後は避難所支援はもちろん、家の片付けなどのニーズが見込まれる。
 七ヶ浜は海岸部の集落が壊滅的な被害を受けたが、高台の団地はほとんどの家屋が残っている。散乱した物を片付ける地震対応と、床下、床上浸水した家屋の畳の処理など、水害時と同じ対応が同時並行する大変な作業になりそうだ。
それでも、津波で押し流された車をよけながら家屋の片付けが始まった近隣の多賀城市などよりは、一般ボランティアにとって危険性は少ないように見える。

 避難所は町内13カ所に1,827人。
 電気の復旧にともない家に帰った町民もいるが、ガソリン不足で食料の買い出しに行けず、再び避難所に戻ってくるケースも多い。
 約300人が身を寄せる中央公民館では食事は1日2食。
 ただし食材は十分にあるため、1食分は自分たちで炊き出しするよう促している。
 トイレ掃除なども自主的に行う避難者が出始め、仮設トイレはかなり清潔に保たれていた。
 問題はやはり燃料難。お湯を沸かすだけの燃料がないため、いまだに風呂に入ることができない。
 「足湯をすれば喜ばれることは間違いないでしょう」と社協職員は断言した。

 被災者の心身の疲れは限界に近づいてきている。
 「安否不明者の中には遠くの親戚の家などに身を寄せているのかもしれないが、車も出せず電話も通じなければ探しようがない。避難所間で名簿を照らし合わせることもできていない。とにかく情報がない。われわれの頭もパニックになっている」
 被害が集中した松ケ浜地区の区長は目を伏せ、消え入るような声で話した。
 返す言葉が見つからなかった。

 この広大な被災地に、1週間あまりで回ることのできた現場はごくわずかです。差し迫った窮状を見聞きしながら、何もできないまま引き揚げ、その後の状況がわからない被災地もあります。心苦しい思いはありますが、いったん名古屋に戻ってこれまでの活動をご報告し、われわれに何ができるか、皆さんと一緒に考えたいと思います。

※ボランティア活動支援金にご協力ください!
・郵便振替00800-3-126026
加入者:特定非営利活動法人レスキューストックヤード 
通信欄に「東北地方地震」とご記入ください。

  


Posted by 飯野健二 at 05:15Comments(0)東北関東大震災情報