2017年01月01日

高学歴女子が年収212万でもNPOで働く理由 「どうせならやりたいことをやって死にたい」

高学歴女子が年収212万でもNPOで働く理由 「どうせならやりたいことをやって死にたい」

http://toyokeizai.net/articles/-/151362

東洋経済の記事です。
高学歴女子が年収212万でもNPOで働く理由
「どうせならやりたいことをやって死にたい」
中村 安希 :ノンフィクション作家 2016年12月25日

 華々しい経歴を持ち、高給を稼ぐ女性たちが、あえて平均年収212万円のNPOに転職する理由とは?
 年収750万円と212万円の仕事、選べるならどっちを選ぶ?というシンプルな問いから、私の“N女の研究”は始まった。

 「N女」とは、NPOや社会的企業などのソーシャルセクターで働く女性たちの総称だ。中でも高い学歴や職歴を持ち、有名企業に就職する実力がありながら、あえてソーシャルセクターを勤め先に選んだN女たちに今回は焦点を当てたい。その理由は、30代半ばに入ったころから、自分の周りにそういう選択をする人が増えてきたからである。

 高スペック女子たちが次々NPOに転職

 慶応大学を卒業後、大手人材派遣会社を経て、雑誌販売によってホームレス支援を行う会社「ビッグイシュー日本」へ転職した女性。ICUを卒業後、大手飲料メーカーに勤務し、さらに海外の大学院と一橋大学大学院での修士課程を経て、NPO法人「難民支援協会」に就職した女性……。

 そうした女性たちが身近な存在になりつつあった3年前、今度は突然、親友の1人が転職を決めた。かつては大手ソフトウェア会社のアメリカ本社に勤め、外資系IT企業を渡り歩いてきたキャリアウーマンの親友が突然「東北の復興支援をやっている非営利団体に転職する」と言い出したのだ。給料を半分以下に減らしての転職である。

 就職トレンドに何か重大な変化が起きているのではないか?そんな疑問を抱いていた頃、偶然耳にしたのがこの「N女」という言葉だった。ハイスペックな女性たちの中に、ソーシャルセクターを就職先に選ぶ人たちが出現し始めている、というのである。

 取材を進めていくにつれて、N女という存在自体は新しいものではなく、昔からあったことがわかってきた。かつて市民運動などで活動していた女性たちの中にも、社会問題への関心が高い高学歴女性たちがいたのだ。

 ただし、旧世代と新世代のN女とでは、決定的な違いが1つあった。それは、活動が「仕事」であるかどうかだ。大学卒業後は専業主婦となることが一般的だった旧世代のN女たちにとって、活動とはボランティアによる無償奉仕だった。それに対し、働くことを前提として社会に出てきた“新世代N女”たちは、活動先の団体をあくまでも「就職先」として捉えていたのである。

 NPOへの転職前、500万から1000万円程度の年収を稼ぎ出していたN女たち。彼女たちが、有給職員の年収の平均値が212万円とされるNPO業界へ転職することは驚きではあるが、とはいえ、取材をしたN女たちの約半数は、NPOへの転職後もサラリーマンの平均年収程度の収入を稼いでいることもわかってきた。ソーシャルセクターは、かつてのような「無償奉仕」や「自己犠牲」によって成り立つものではなく、「経営意識」を持ったプロたちが参入する職場へと変わりつつあるのである。

 「やりがいがあっても低賃金でいいとは思っていない」

 N女たちは言う。「やりがいのある仕事だからと言って、低賃金でもいいとは思わない」

 彼女たちがソーシャルセクターを職場に選んだ理由は、それぞれ違うし、いくつかの条件が重なって決断したケースが多いので、一般化はできない。ただ、N女たちから何度か繰り返された言葉からは、ある種の傾向のようなものを見いだせると思う。

 例えば、NPO法人「ビッグイシュー基金」の瀬名波雅子さんの転職の決め手は「何のために働いているのか?」という問いだったという。5年4カ月勤めた大手カード会社は、器の大きい良い会社で、ブレイクダウンされた目の前の仕事は楽しかったと振り返る。しかし、もっとその先にあるもの、仕事の目的や意義について考えると、カード会社が目的とする”大量消費を促す”というビジネスには馴染めなかった。そして2011年3月11日、東日本大震災で激しく揺れたビルの中で、死ぬかもしれないと思った彼女は決断した。「明日死ぬかもしれないなら、やりたいことをやって死にたい」。彼女がやりたかったこととは、貧困問題をビジネスによって解決していく道だった。

 N女たちにとって、仕事を通じて何をするか、という点はもちろん重要だが、同時に、女性であるがゆえ「どう働くか」も重要だ。病児保育に取り組むNPO法人「ノーベル」の吉田綾さんは、育休を経て一旦はリクルートに復帰したものの、育児との両立が困難だったことからNPOに転職した。チャレンジしたい人を男女の分け隔てなくあと押しするリクルートの姿勢は、ある種理想的な男女平等主義のようにも見えるが、独身者や家事育児を一切やらない既婚男性の生活サイクルを基準とする労働環境は、子育て中だった彼女には過酷だった。そこで吉田さんは、「子どもを産んでも当たり前に働き続けられる社会」をビジョンに描くNPOに転職し、週3日の事務所勤務と週2日の在宅勤務という、新しい働き方を手に入れた。決め手はズバリ、子育てに理解があることへの安心感。給料は減ったものの、心は豊かに安定して過ごせていると思う、と話してくれた。

 もう一つ、N女たちの転職理由としてよく挙げられたのが、前職で得たノウハウを生かしてNPOを稼げる団体にしたい、という強い思いである。

 リクルートでの営業職を経て、NPO法人「クロスフィールズ」に転職した三ツ井稔恵さんは、リクルート時代に、ある支援団体でプロボノ(スキルを生かしたボランティア)を経験したことから、団体の資金繰りの難しさを痛感した。そこで、その後転職したNPOでは、非営利団体だからという甘えの意識を捨て、成果を出して取引き先に認めてもらう必要性を説いている。

 また、NPO法人「NPOサポートセンター」の杉原志保さんは、市役所や財団など、助成金を出す側の組織での勤務を経て現職にたどり着いているが、背景には、NPOが抱える資金難があったと話してくれた。「NPOが自力をつけて事業計画を考え、民間からお金を集めるシステムを作り上げていかない限り、結局のところ団体の運営基盤を強化することにはつながらない」という。

 NPO業界の抱える資金不足をどうにかしたい

 N女たちには、自分のノウハウや経験を生かして社会課題を解決したいという思いがあると同時に、業界が抱えてきた慢性的な資金不足という問題をどうにかしたいと思っている。

 なぜなら、これまでのNPOにありがちだった「いいことをやっているから補助金をください」という姿勢では、安定的に活動できないことを彼女たちは知っているからである。

 社会課題はたくさんあるが、かつてほど財源がない日本。N女たちの出現は、ある種の必然であり、必要なことである一方で、業界の給与水準が彼女たちの高い能力にまだまだ見合っていない点など、問題も多い。N女たちが今後どのような道を切り開いていくのか、あるいはN女の出現が単なる一過性の現象で終わってしまうのかは、正直なところ私には分からない。

 ただ、取材を通じて感じた「N女現象」を一言で表すなら、それは彼女たちが示した「嘆かない」という姿勢だったように思う。冷静で、ロジカルで、前向きで、柔軟だった彼女たち。「嘆いている暇があるなら、さっさと行動して嘆かずに済む方法を探します」。そう言わんばかりの彼女たちの清々しい行動力は、この時代を生き抜く全ての人にとって、大きなヒントとなるのではないだろうか。

N女の研究 中村安希
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4845916150/toyokeizaia-22


Posted by 飯野健二 at 14:59│Comments(0)
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